永続につづく幸せと平和の発見

サント ラジンダー シン ジ マハラジ

世界中の人々が最も普遍的に追い求めるもののひとつは、永遠に続く幸せと平和を探求することです。私たちのほとんどは、何としても苦痛を避けたいと思っています。科学は人間の苦痛に終止符を打つために熱狂的に取り組んでいます。何十億ドルもの費用が、病気を治癒させ、苦痛を取り除く方法を発見するための研究開発に費やされています。肉体的な苦痛に対処するために私たちはさまざまな鎮痛剤を持っています。医学は感情的な苦痛からの苦しみを和らげるために、さまざまな薬を考案しました。

苦痛からの救済を求めて

医学の領域の外では、人々は苦痛を和らげるために自分独自の方法を見つけます。悲しみを抜き出すように、薬物やアルコールや官能的な喜びに目を向ける人もいれば、人生の苦痛から逃れるために、さまざまな娯楽や趣味の活動に没頭する人もいます。人間という生物は、ほとんどの生物と同様に、反射神経のシステムを持っています。反射神経は生存本能のひとつです。それは苦痛を避け、私たちをいい気分にさせるものを求めるよう指示します。

私たちは、良い気分になれるように、苦痛のない状態を絶えず求めています。私たちは幸せと喜びの状態を絶えず求めています。 しかしながら、この世の幸せに関する問題は、一時的な喜びしか提供されないということです。

私たちが世界から得ていると思っている幸せは幻想に過ぎません。世界の喜びに関わっている一方で、時間が私たちから愛するすべてのものを奪おうと脅していることに気づいていません。この世界の喜びは、移ろいゆくものに過ぎないのです。永遠に続くことはないのです。

外の世界に永遠につづくものなど存在しない

人々が喜びを得ている世界のすべてものについてリストを作れば、私たちは、すべてを喪失する危険性があることに気づくでしょう。お金は入ってきて出ていきます。私たちは、株式市場の暴落時に、たいへん裕福な人々が全財産を失うのを見てきました。ゴージャスな大邸宅に住む人々が、その大邸宅を、ハリケーンや、竜巻、洪水、土砂崩れ、火災、地震、火山の噴火で失うという話を耳にします。高価な宝石は盗まれる可能性があります。評判や名声は世間の風潮によって覆ります。

 

見つける―続く―平和―水蓮

 

人間関係による幸せもまた喪失する対象となります。時に、私たちは病気や死のために愛する人を失います。うまくいくというよりは、むしろ、何とかやっていく事ができなくて、かつて愛していた人のもとを去る時もあります。結局のところ、形あるもののすべてが終わりを迎えます。いつか、私たちに喜びを与えるものが私たちから奪われたり失われるか、もしくは、死の床に際して、最終的には私たちがこの世界から連れ去られるか、のいずれかなのです。

真に重要なことは何か

真の幸せとは人生に喜びと満足感を見つけることです。不治の病に直面したとき、ほとんどの人は、もはやお金のことなどを気にしません。彼らにとって重要なことは、家族、彼らが人生で成し遂げたこと、そして神への信仰です。これらは無形の贈り物です。愛はさらに重要になります。家族への愛、神への愛、そして人類への愛を表現するためにしたことは、今回の人生をこえて持っていくことのできる贈り物なのです。

闇の中から生まれる光

多くの場合、スピリチュアルな目覚めへの道を開くのは喪失であり、喪失から生まれる苦痛なのです。私たちが私たちを助ける高次の力に目を向けるのは、喪失と苦痛を経験する時です。多くの場合、私たちが神に目を向けるのは、助けを必要とする時だけなのです。神は存在するのか? 魂があるのであれば、死んだときに何が起こるのか? そして、私たちはなぜここにいるのか?と疑問に思い始めるかもしれません。これらの質問は、永遠に続く幸せへの道の第一歩なのです。

神は幸せと至福に満ちた大きな海です。神はすべての愛、すべての喜び、すべての光です。その神と同じ愛と光と喜びが、私たちの魂の中にも見いだされるのです。ですから、もし、自らの魂を体験できれば、私たちは、この愛、この光、この喜びを、そして、それらが永遠であることを体験することができるのです。この体験は瞑想の過程を通して起こり、私たちはその過程において、私たちの本当の性質、私たちの魂を実感します。ひとたび魂としての自分自身を意識すれば、魂を通して見聞きすることができます。私たちは、自らの内側に、内なる光と音の流れや潮流が循環していることに気づけるようになります。そうして、私たちは、常に安定した至福と愛の流れにつながります。

この地球上の喜びは一時的なものですが、魂の中や、内なる光と音の循環の中、そして神の中にある至福は、永遠に続くのです。瞑想を通して、私たちは、自らの内側にスピリチュアルな至福と幸せという永遠に続く源泉を見つけます。瞑想する中で、私たちは肉体以上の存在であることに気づき始めます。私たちの魂は、肉体とは分離された別の存在であることがわかります。私たちは永遠であることがわかります。私たちは死ぬことなく、私たちは、永遠に続く幸せを与える喜びという永遠の国に行くことを知っているのです。

永遠につづく幸せ

もし、苦痛や悲しみへと至らない本当の幸せを望むなら、永遠に続く幸せを探し求めるべきです。内なる光と音に触れ、神への道を見つけることによって、私たちは永遠に続く幸せを見つけるでしょう。私たちを人生のもつ一時的な性質に目覚めさせた、まさにその苦痛と悲しみこそが、私たちの歩みを永遠に続く至福へと導くのです。

苦痛と苦しみは、私たちのスピリチュアルな旅において避けることができない一部です。それは、私たちのスピリチュアルな生活のきっかけとして巡ってくるかもしれません。それは、私たちのスピリチュアルな旅の途中で起こるのかもしれません。それは、私たちが助けを求めて、神に祈ることに意識を向けさせつづける道として巡ってくるかもしれません。たったひとつの真の幸せとは、スピリットの幸福であることを思い出させてくれるのかもしれません。

スピリチュアルな至福は、私たちの意識が受け継いだ財産なのです。瞑想というギフトを通じて、私たちは、永遠につづく幸せというこの至福な状態を体験することができます。このギフトを価値あるものだと思って、大切にしましょう。私たちも永遠に続く幸せと至福を体験できるように、毎日決まった時間を瞑想のためにあてましょう。

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著者サント ラジンダー シン ジ マハラジについて

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